Story

わたしの出口設計の話

イスタンブールのカフェテラス

藤沢 棗です。

今、私はイスタンブールの図書館でこの文章を書いています。天井が高くて、本棚が床から天井まであって。外ではアザーンが聞こえています。

2年半前の私は、都内で派遣事務をしていました。

「このままじゃダメって、わかってるのに動けない」

その感覚が、ずっと続いていました。

仕事はある。生活も安定している。でも「私の人生じゃない感覚」だけが、消えなかった。

本当は海外に行きたかった。本当は、自分の力でお金を稼げるようになりたかった。

でも、どうすればいいかわからなかった。失敗するのも怖かった。

だから私はずっと、「まだ今じゃない」と言い続けていました。

それが変わったのは、順番を変えたからです。大きな決断をしたからでもない。ただ、順番を変えただけでした。

今日は、その話を全部書きます。

第1章|スーパーのワイン売り場

2年半前の私は、月収14万円の派遣事務でした。

夫はIT関連企業に勤めていて、年収は1000万円ほど。安定志向で、堅実なタイプでした。

数字だけ見れば「十分」だったのかもしれません。生活には困らない。貯金もできる。何不自由ない暮らし。

でも私の心の中には、ずっと違和感がありました。

「このお金は、本当に私のものなんだろうか」

スーパーのワイン売り場で、1,500円のボトルを手に取って、そっと棚に戻した日のことを、今でも覚えています。

脳内で、夫の声が再生されたんです。「それ、合理的じゃないよね」

実際には、夫は何も言っていません。むしろ優しい人で、私が何を買おうと文句を言うような人ではありませんでした。

でも私の中に、「遠慮」があったんです。

「自分で得たお金」じゃない。「家計のお金」を使っている感覚。

カフェで友達とお茶をする時も、「今月ちょっと使いすぎたかな」と無意識に計算している自分がいました。

夫が「また今月も貯金できたね」と嬉しそうに話している横で、私はふと思いました。

私が自由に使えるお金って、本当に私のものなんだろうか。

この違和感に名前をつけるとしたら、こうです。

「誰かの許可の中で生きている」

第2章|10年間の違和感

この感覚は、実は10年前からありました。

最初の結婚。最初の離婚。派遣社員としてのキャリア。

いつも、どこかで「自分の力で生きていきたい」と思っていました。

でもその願いは、いつも固定観念で諦めてきました。

「安定した仕事があるだけマシ」「特別なスキルもないし」「私には無理」

そうやって、自分の願いを押し込めて生きてきました。

でも違和感は消えませんでした。むしろ、年々強くなっていった。

通勤電車の中で、海外から投稿している同世代の人を見ては「いいな」と思う。でも「私には無理」と諦める。

その繰り返しでした。

気づいていました。

私が本当に欲しかったのは、「お金」そのものではなかった。

「選択肢」が欲しかったんです。

行きたい場所に行ける選択肢。やりたいことをやれる選択肢。誰にも遠慮せず決められる選択肢。

でも月収14万円の派遣事務の私には、その選択肢がありませんでした。

少なくとも、そう思い込んでいました。

第3章|眠れなかった夜

2年半前のある夜。

夫がまた、嬉しそうに言いました。

「また今月も貯金できたね」

何度も聞いていたはずのその言葉を、その夜は聞き流せませんでした。

その貯金は、私とは無関係だ。そのお金は、私の人生の備えにはならない。

眠れませんでした。

布団の中でスマホを開いて、ぼんやりと画面を見ていました。

海外で暮らす人たちの投稿。カフェでパソコンを開いて仕事をしている人。場所に縛られない生き方を実践している人。

「私も、こんな風に生きたい」

でも「どうやって?」という答えが、見つからない。

翌朝、通勤電車の中で、無意識に検索窓に打ち込んでいました。

「副業 在宅 文章」

「自分の力で稼ぎたい」という願いが、指を動かしていました。

でも調べれば調べるほど、不安になりました。時間がかかりそうなもの。スキルが必要そうなもの。どれもピンと来なかった。

そのとき、ふと気づいたんです。

私が探していたのは「稼ぎ方」じゃなかった。

「ここから出られる、最初の一手」だったんです。

第4章|変えたのは、順番だけだった

最初に「副業 在宅 文章」と検索してから、しばらくの間、私はいろんなものを試しました。

無料のコンテンツを見ては試す。違うと思ったらまた探す。その繰り返しでした。

うまくいかない時期がありました。何が間違っているのかもわからない時期がありました。夜中に一人で泣いた日も、正直ありました。

「私には向いていないのかな」と思いかけた頃、ふと気づいたことがありました。

私はずっと「稼ぎ方」を探していた。でも本当に必要だったのは、そこじゃなかったんです。

「出口を先に作る」

この考え方に出会ったとき、何かがすとんと落ちた感覚がありました。

それまで私は、ずっと順番を間違えていたんだと思います。

収入が増えたら動こう。貯金がもう少し増えたら考えよう。状況が整ったら始めよう。

でも待っていても、状況は整いませんでした。整う前に、また新しい条件が増えました。

順番を変えてから、具体的にやったことは3つでした。

場所に縛られない収入の入口を、小さく作ること。「もしものとき一人でも動ける」という感覚を取り戻すこと。誰の許可もなく動けるという証拠を、自分の中に積み上げること。

夢を叶える方法でも、海外移住の手順書でもない。今の収入、今の制約のまま、ここから出られる構造を先に作ること。

それが私の「出口設計」でした。

大きく踏み出す必要はなかった。完璧に準備する必要もなかった。

ただ、出口を先に作る。

その順番に変えただけでした。

どうやって収入を作ったか、という手段の話をここでは書きません。手段は人によって違うからです。大事なのは、「稼ぎ方を探す」から「出口を先に作る」に、考え方の順番を変えたことでした。

動きたいと思っていたこと自体は、正しかった。ただ、順番が逆だっただけでした。

第5章|初めて自分で作った3万円

ある夜、スマホの通知が来ていました。

「報酬が発生しました:30,000円」

最初、意味がわかりませんでした。

もう一度見直して、本当に「3万円」と書いてあることを確認して、それから、息をゆっくり吐きました。

「自分で作った、3万円」

月収14万円の中の3万円とは、全く違う意味を持っていました。

これは金額の話じゃなかった。

「私にもできる」という証拠でした。「私はここから出られる」という、最初の現実でした。

誰かの収入の中で遠慮しながら生きていた私が、自分の判断で、自分の力で作った3万円。

その重みが、どれほどのものか。

ワイン売り場で棚に戻した1,500円のボトルのことを思い出しました。あのとき感じた「遠慮」が、少しだけ薄くなった気がしました。

「私まだいける」

その感覚を、初めて持てた夜でした。


収入が安定してきた頃、夫と何度も話し合って、別々の道を歩くことにしました。 自分のお金で、自分の場所から始める。その選択が、ようやく現実になった瞬間でした。

第6章|今、ここにいます

今、私はイスタンブールにいます。

近所に行きつけのチキン屋さんがあって、毎日美味しそうに回っています。坂が多くて、猫が多くて、人が優しい。海外にいると外との予定が入らないから、時間がたっぷりあります。

午前中は図書館で仕事をして、午後は街を歩く。そういう日が続いています。

ここに来るまでに、大きな決断は一度もしていません。

貯金は200万円でした。英語も話せませんでした。特別なスキルも、人脈も、何もありませんでした。

変えたのは、順番だけでした。

出口を先に作る。収入はそのあとからついてくる。その順番に変えただけで、今ここにいます。

2年半前、スーパーのワイン売り場で棚にボトルを戻していた私が、今ここにいます。

「私の人生じゃない感覚」が、ここにはありません。

おわりに

もし今、「このままじゃダメってわかってるのに動けない」と感じているなら、2年半前の私と同じです。

お伝えしたいことがあります。

動けないのは、意志が弱いからじゃないです。順番が、逆なだけだと思います。

出口を先に作る。その順番に変えてから、私は動けるようになりました。

「自分が今どの状態にいるか」を確認できるシートを用意しました。1分でできますので、一度試してみてください。